十三年かかった。ここに戻ってくるのに。
何をしてきたのか。罵り、逃げ出し、そうして潰した十年という月日は一体何のためにあったのか。

構内は当時とまったく変わっていなかった。建物も、並木道も。学生たちも。
まるではじめから何もなかったかのように、時は静かに流れ続ける。
あの事件の後、構内は多くの刑事や鑑識が押し寄せ物々しい空気に包まれたが、それも一時のことだった。やがて現場を囲んでいたテープは取り払われ、学内で警察の影を踏むこともなくなった。
だが、志願者が減ることはない。
人々にとって重要なのは、東大というブランドだけ。構内で学生を絞殺した殺人犯が野放しにされていようとも、そんなことは大半の人間にとってはどうでもいいことなのだろう。

「またですか?」
「……また、といいますと?」

聞き返すと、カウンターの向こうで物憂げに視線を上げた男は軽く肩を竦めてみせた。

「ちょっと前に別の刑事さんも同じこと訊きに来られましてね。もう十年以上昔の事件でしょう。何で今更そんなことを」

眉を顰め、警察手帳を懐に仕舞う。首に巻きつけたマフラーから顎を出し、彼女は嘆息混じりに言った。

「特命係の、杉下とかいう刑事ですか」
「そんな名前だったかな。忘れましたよ」

煩わしげにこめかみを掻き、男が手にしたファイルの束を突き出してくる。

「何しろ昔のことなんで大した資料は残ってませんよ。それ、その刑事さんも見ていきましたけど今更何を」
「ええ、まあ。少しお借りします」

受け取ったファイルを広げながら、脇に寄ってページを捲る。黄ばんだ紙面に、目的の名を探す。

「すみません。この頁、コピーして頂けますか」

既に自分の業務に戻っていた男は、あからさまに面倒臭そうな顔をしながらこちらを向いた。
    え?それじゃあ……さんは、殺されたの」
「ええ。彼女は彼と同時期に東京大学に在籍していました」

いつもと同じ方向にスプーンを回し、雫を落としてソーサーに載せる。この時期のホットティーは強張った頭も身体もゆっくりと揉み解いてくれる。
薫は厳しい顔で口を開いたまま、しどろもどろに言ってくる。

「そ、それじゃあさんは、その事件を調べるために東京に……」
「恐らくは。僕たちの他にも当時のことを調べている刑事がいると聞きませんでしたか」
「あ……そっか。でも、それじゃあ彼女はどうして大阪なんかに。そんな明確な目的があるんだったら    

カップを静かに下ろし、右京は小さく首を振ってみせた。

「彼女には、あまりに苛酷な事件でした。彼と共に過ごした講堂、キャンパス、町並み……すべてが彼女の絶望を煽り立てる。彼女は大阪の大学に転学し、宮部家を出て行くことを決めました」

ひとつ。またひとつ。瞼の内側に、当時の映像が蘇ってくる。
再びティーカップを持ち上げ、右京は視線を巡らせて窓ガラスの向こうを見た。

「僕は彼女と、約束しました」

眼を閉じて、悟られない程度に息をつく。

「僕は当時ニ課にいましたが、それでも。必ず犯人を見つけると、そう約束したんです」

その手を撥ねつけて、彼女は去ってしまったが。

「僕はまだ、その約束を果たせていない」

空になったカップにミルクを注ぎ、そしてまた新しい紅茶を入れる。

「私が戻ってきたから、だからあの事件のことを思い出したのかと。彼女にそう訊かれた時、僕は何も言えませんでした」

忘れたわけではない。だが、日々の営みの中でそれを思い出さなかったのは事実だといえる。
あれほど悲痛な彼女の叫びを聞いたというのに。

「僕では無理だと、そう思われたのでしょうね。だから彼女は、自分の足で、自分の意思で戻ってきた」

あの日の彼女の言葉を、思い出してしまう。
僕は彼女に誓いを立てた。だが彼女は、あの時の叫びを貫いた。
それは今も、変わらないのか。
警察官としての彼女を信じたい。
それでも。

残りのミルクティーを一度に飲み込み、右京はまた傍らのコートを掴んだ。

「亀山くん。行きますよ」
「はい!」

彼がいつもそばにいてくれるから、だからこそやってこられた。
もしも彼が今この瞬間、自分の前から姿を消したら。
彼女はそれを、理由も分からず唐突に奪われた。
どれだけの月日が流れても、彼女の中でそれが消えることはあるまい。だからこそ。

なんとしてでも彼女よりも先に、犯人を見つけ出さなければならない。彼女自身のためにも、そしてたまきのためにも。
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(06.10.19)