もう一年になるが、あの女の独善はまったくといっていいほど改善されていない。それでも実際、の解決した事件は両手の指でも数え切れないほどに膨れ上がり、課長も部長も下手に手を出せないでいた。

……警部補殿」

デスクに向かうその後ろ姿に声をかけるも、まったく反応がない。女は手元のファイルを凝視しながら、もう片方の手でパソコンのキーボードを叩いている。こういったことは、別段珍しくもない。
伊丹は大袈裟に嘆息し、今度はより大きく、ゆっくりと繰り返した。

「……警部補殿」

そこでようやく手を止め、女は平然と振り向いた。それ以前に何度か呼ばれていることにはきっと気付いていないのだろう。

「何か?」
「……課長から預かってきた、書類です。昼までに仕上げて欲しいと」
「分かりました」

は必要最小限の言葉だけを発して書類の束を受け取る。何とはなしに彼女の開いたノートパソコンの液晶画面を見ていると、こちらの視線に気付いたらしいはさり気なくその蓋を下ろした。もっとも、角度の関係で端から彼女が何を調べていたのかは分からなかったが。
「右京さん、そろそろ教えてくれたっていいんじゃないっすか?もうずーっとこそこそ何か調べてるでしょ?なーに調べてるんすか?」
「こそこそしているつもりは毛頭ありませんが」
「だってこそこそしてるでしょ。昨日だって一人で調べ物したり何にも言わずに出かけてたじゃないっすか」
「出かけますと言いませんでしたか?」
「いや、それはまあ確かに聞きましたけど」

口で右京に勝てるとは思っていないが。
今日もまた古い資料を突き合わせては紅茶を啜っているその後ろ姿を眺め、薫は嘆息混じりに後頭部を掻いた。
と、そこへ、いつものようにいつもの如く角田課長が顔を出す。

「よっ、暇か?」

それに反応してというわけでもなかろうが、まさにそのタイミングで右京が素早く立ち上がる。課長が不思議そうに瞬きしている間にも、右京はてきぱきと二冊のファイルを棚に仕舞い込んで軽やかにコートを羽織った。

「出かけます」
「え、何、何?また一課のヤマに首突っ込んでんの?」
「ちょ、右京さん!」

呆れたように笑う課長は無視して、部屋を出て行こうとする右京を呼び止める。立ち止まった右京はこちらに背を向けたまま、物静かに言ってきた。

「気になるのなら、一緒に行きますか」
「え?」
「気にならないのならば、構いませんが」
「いや、行きます、行きますよ!」

(分かんねぇな、まったく)

胸中で苦笑いしつつ、薫は入り口に立ち塞がるようにして立っている課長を押し飛ばして右京の後を追いかけた。
「東大生殺人事件?」
「え、まさか先輩知らないんすか?ほら、十年前東大生が学内で殺されてお宮入りになったってやつですよ。当時かなりのメディアで騒がれたじゃないですか」
「馬鹿にすんな。それぐらいのこたぁ覚えてるよ。あの女、そんな古いヤマ調べてんのか」
「そうみたいですよ?資料室から何度も関連資料借り出してるみたいですし」
「ほー。物好きなもんだ。つくづくどっかの誰かさんにそっくりだな」
「実は殺された学生、さんの古い友達だったりして」
「はっ。まさか。あの女、府警の出だぞ?」

鼻で笑ってみせる。
あの女は、煙草を吸わない。故に喫煙室は気楽に話ができる場だった。
笑い話で済ませることができたのだ。

その時は。
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(06.10.18)
当たり前ですが、この物語はフィクションです。東大は原作中でも出てくる数少ない実在の大学のひとつであり、この連載でも同じように出させて貰っただけです。こんな事件はありません。