「ねえねえ、タタミくん」
「……何度言わせりゃ気が済むんだ。俺はイ・タ・ミだ!」
「うっさいわよこの犬!」
眉間に太いしわを二本も浮かべた、仏頂面の男が一人。

「……お前、なんか約束が違わねえか?」
「ん?どこが」

私は知らん顔で右手に持った団扇をパタパタと振った。じわじわする熱気が肌に食い込むよう。
彼は暑苦しいスーツ姿のまま目を細めた。

「お前、確か兄貴の誕生祝の買い物に付き合えっつったんだよな?」
「うん」
「そうなんだよな」
「うん」
「だったら」

浴衣姿の子供からお年寄りまでたくさんの人たちが神社の鳥居をくぐって出店の方へ歩いていく。
彼はあからさまに眉間のしわをどっと増やした。

    ここはどう見ても誕生祝を買うような場所じゃねえよな?」
「そうかしら」

私が素っ気無くそう答えると、伊丹は歯噛みして怒鳴った。

「おっかしーと思ってたんだ!買い物行くのにどーして浴衣なんか着てんのか……お前、夏祭りで誕生プレゼント買う奴がどこにいる!」
「ここにいるわ」
「だーからお前はおかしいんだよ!」

私は頬を膨らませて彼を睨み付けた。彼もひどく不機嫌そうだが、私だって負けてないはず。

「あのね、うちの兄ちゃんはあんたと違って今時珍しい童心を忘れない素敵な大人なの!プレゼントにお金なんかかけなくったって私の愛が詰まってればそれで十分なの!」

あんたと違って、という部分で彼はピクリと眉を上下させたが、私が彼の腕を強引に掴んで神社の方へと歩き出すと、何やらぼやきながらも反抗せずについてきた。
彼が大人しくなったところで腕を放す。私は青い浴衣の袖を捲って早速側の出店でリンゴ飴を買った。

「伊丹は?」
「要らねーよ」
「そう?じゃあ一つで」

私は買ったばかりのリンゴ飴に軽く齧り付きながら彼のスーツの裾を引っ張った。物憂げな顔をして伊丹が振り返る。

「何だ」
「人のあんまりいないとこでちょっとのんびりしない?ここゴミゴミしててあんまり好きじゃない……」
「お前が勝手に連れてきたんだろーが!」
「だってせっかくのお祭りなのにー」

伊丹も何か食べ物買えば?と言うと、彼は不満げだったがリンゴ飴の隣のやきそばを一つ買ってきた。
石畳を逸れて、境内の出店の奥へと向かう。そこはお祭りの灯りも仄かにしか届かない薄暗い木の下。
大きな石の上に腰を下ろすと、伊丹は少し離れた石に気だるそうに座った。

「お祭りなんて、ン十年振りでしょ?」

飴を舐めながら軽く訊ねる。彼はまっさらの割り箸を横に銜え、膝の上でやきそばのパックを開いた。銜えたまま箸を割り、しばらくそれで麺をぐちゃぐちゃに混ぜる。

「たりめーだろ。こんな年にもなって誰が祭りなんか    
「だからそんなにいつも苛々してるんだ?」
「は?関係あっかよ」

彼は麺を掻き込みながらも時々混ざっている紅生姜を蓋に選り分けていた。食べてる時くらい眉間のしわ、消せばいいのに。

「子供心を忘れないのは大事だよ?」
「お前は忘れなさすぎだ」
「お褒めの言葉ありがとう伊丹」
「誰が褒めたよ、誰が!」

いちいち怒鳴ってくるところは、まだまだ子供だなぁと思うんだけど。
それから伊丹は黙々とやきそばを食べた。でも私は半分くらいでリンゴ飴に飽きた。
いつもそうだ    リンゴ飴は最初の数口はとても美味しいのに、甘すぎて最後まで食べられない。

あっという間に食べ終えた彼は立ち上がり、ゴミ捨ててくると言って去っていった。戻ってきた彼の両手には紙コップが二つ握られている。
伊丹はそのうちの一つを何も言わずに私に差し出した。びっくりした。でもありがとうと言って素直に受け取る。冷たい麦茶だった。 さっきと同じ石に腰掛けた伊丹に私は身体ごと顔を向けた。

「伊丹」
「何だ」
「甘いもの食べられるよね?」
「何でだ」

飽きたと言いながら食べかけのリンゴ飴を差し出すと彼は思い切り顔を顰めて「はぁ?」と間の抜けた声をあげた。

「食べて欲しいなー」
「バ、バカかお前?俺は男だぞ!」

伊丹が何を言っているのか最初はよく分からなかった。でもこの薄がりの中でも分かるくらい真っ赤になっている彼を見て、何だかこっちの方が恥ずかしくなってくる。女の子の食べかけのものを口に入れるのが照れ臭いなんて、小学生か。

「……伊丹ってそういうこと気にするんだ」

恥ずかしさの次には素直に笑いが出てくる。肩を揺らし爆笑を堪えていると、伊丹は赤いまま怒鳴った。

「悪いかよ!気にすんなって方が無理だろーが!」
「……今時誰もそんなこと気にしな    
「あーそうかよ!分かったよ寄越せこのヤロ!」

捨て鉢気味に叫んで伊丹は私の手から半分になったリンゴ飴を取り上げた。齧る前に一瞬躊躇したのがありありと見て取れる。あぁ、可愛いなぁコイツ。
私は彼が飴を食べ終わるまで満面の笑みでジッとその様子を見つめていた。
出店の通りに戻った時も、まだ伊丹の耳は少し赤みがかっていた。

    で」

照れ隠しのように眉間のしわを増やして彼は口を開いた。

「こんな所でプレゼントって、何をお買いになられるんですかね?さんよ」
「あ、伊丹、あれやりたい」

パッと視界に入った輪投げの出店を指差す。伊丹の顔があからさまに歪んだのを無視して私はまた彼のスーツの袖を掴んだ。
綿菓子の袋(何とかレンジャーの柄がついてる)と、クマとネコの大きなぬいぐるみを抱えた私を、伊丹は隣で呆れ顔で見ている。

「……お前、恥ずかしくないか?」
「何が?」
「……何でもねえ」

ぶっきらぼうにそう言いつつ、伊丹が「……俺は恥ずかしい」と呟くのが聞こえたが私は無視した。
兄ちゃんはクマのぬいぐるみでも喜んで受け取ってくれるだろう。あとはお参りして、少しブラブラしたらもうそろそろ帰してあげないと彼はいい加減怒るかもしれない。夏祭りに付き合ってくれてるだけで信じられないようなことなのに。
彼と並んでお宮参りを済ませると、私たちは元来た道を歩き出した。提灯の灯りが季節を思わせる。おみくじは小吉だった(伊丹はくだらねーと言って引かなかった)。

「寄越せ」

いきなり左手の綿菓子の袋を取り上げられて私は腕の中のぬいぐるみを落としそうになった。そのまま伊丹はネコのぬいぐるみも手に取る。私は呆気に取られてしばらくジッと彼の横顔を見つめていたが、小さく笑んで腕に残ったクマのぬいぐるみを抱き締めた。
彼は言葉遣いも態度も乱暴でぶっきらぼうだけど、実は優しいということは知ってた。でもこんなにも。
私は一歩先を歩く彼のスーツの裾を握った。相変わらず眉根を寄せた伊丹が振り向く。
私は口角を上げて笑ってみせた。

    プレゼント、決めた」
「普通兄貴へのプレゼントを、男に取らせるか?」
「伊丹、変なこと気にしすぎよ」

水面を見つめながら網を握る手に力を入れる伊丹。私は二つのぬいぐるみと綿菓子の袋を抱き締めて彼の傍らに座り込んだ。
小さなプールの中には赤や黒の小さな金魚がたくさん泳いでいる。
忘れていたが、兄は昔から夏祭りといえば金魚金魚で、毎年毎年何匹も掬っていたのを思い出したのだ(一年と持たなかったけれど)。きっと喜んでくれる。

いつも以上に眉間にしわを寄せ真剣な目をした伊丹が前屈みになって水面を覗き込んだ。彼のこんな真面目な顔、見たことない。それとも、現場ではいつもこんな感じなんだろうか。でも。
私が頼んだ金魚掬いを、伊丹がこんなに真剣にやってくれてるのがとても嬉しい。既に網の真ん中を破いて端の方で奮闘している。
見かねた出店のおじさんが一度網を替えてくれたが、それでも彼は一匹も金魚を取ることが出来なかった。
……まぁ、もう何年も夏祭りに出ていないおじさんにそう易々と捕まるような鈍間な魚なんていないということか。

項垂れる伊丹に、店のおじさんはナイロン袋に赤と黒の金魚を一匹ずつ入れて渡してくれた。
彼はばつの悪そうな顔で私の手から綿菓子の袋とネコを取り上げ、代わりに金魚を押し付けた。
その顔が、すごく可愛くて。

「……ありがと、伊丹」

彼は笑うどころかますます恥ずかしそうな顔をしてこちらから目を逸らし大股で歩き出した。
急いで追いつき、思い切ってその腕にしがみつく。伊丹はビクッと身を強張らせて驚いた顔で私を見下ろした。
彼の頬がまたどんどん赤く染まっていく。あー、可愛い。これだから異性慣れしれない男っていうのは。
そうでなくても、私は伊丹のこと大好きだけど。

神社の境内を抜けて、帰り道。私はまだ伊丹の左腕に自分の右腕を絡めていた。伊丹の歩き方がずっと何だか覚束ない。
明るい大通りを歩いている時、大きなクマのぬいぐるみを抱えた伊丹を見てすれ違いざまに何人かが笑った。その度に「可愛いからいいじゃん」と言うと、彼はまた真っ赤になって怒った。
彼は黙って私をマンションまで送ってくれた。腕を放し、別れる時も、やっぱり彼はいつもの仏頂面で。

「今日は、ありがとね」
「別に。約束しちまったからな」

そうだよね。そうなんだよね。伊丹は約束を守ってくれただけ。
じゃあなと言って去っていく彼の後ろ姿は、私の視界からすぐに消えた。ぬいぐるみと綿菓子の袋を抱き抱え、金魚の袋を指に通して巾着から携帯を取り出す。
結局番号もアドレスも聞けず仕舞。伊丹も聞いちゃくれなかった。
次に会えるのは、いつになるのか。
警視庁に勤める彼と会えるのは、殺人事件が起こった時だけ。
    あまりに不謹慎だ。でも。

また会いたいなんて。

私はゆらゆらと狭い空間の中で泳ぐ金魚を眺めた。
束縛されるのは嫌いだ。今まで付き合ってきた男たちとも、それで上手くいかなくなった。
それでも。

伊丹になら、こうして掬われてしまいたいと思うのは勝手すぎるだろうか。
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Plumaile (06.02.04) (08.04.18修正)
伊丹って夏祭りとか絶対バカにして思春期くらいからずっと行ってないと思うんですけど、女に誘われて行ったりしたら金魚掬いとか輪投げとかめっちゃ真剣にやってくれそうです(妄想)。伊丹はドラマでも彼女いないぜ宣言をしっかりしてくれてますから、きっと免疫とか全然ないと思うんです。だから女の子の食べかけのもの食べるとか関節、いや間接キスとか絶対意識しますって!!!(痛い妄想)