『阿吽……@最初と最後。A寺院山門の仁王や狛犬などの相。B呼気と吸気。
阿吽の呼吸……共に一つの事をする時などの相互の微妙な調子や気持。特に、それが一致することにいう。』
(広辞苑)
「金剛力士って、すごく素敵」
「……は?」
久しぶりのお休み。彼が蜂のように忙しく働く捜査一課の刑事だってことはよく分かっている。でも、どうしても来てみたかったの。奈良。だって次、いつ日本に戻ってこられるか分からない。
私はアメリカの大学院で法律の勉強をしていた。いま取り掛かっている大掛かりな発表が終わるまでは、しばらく手が離せそうにない。それを知っているものだから、彼も年に数えるほどしかない休暇に、二人で関西に出かけることを承諾してくれたのだ。
古いお寺を巡ってみたかった。華やかな京都ではなくて、落ち着いた雰囲気の奈良。大学でお世話になった教授が奈良の出身だったので、話を聞いてずっと、行ってみたいと思っていた。やっと叶えることのできた、一つの夢。大好きな彼が、それを叶えてくれたのだ。
「だって、ほら、すーごくかっこいい」
「そう……か?そーいうもんかね」
「そういうもんなの」
『だって眉間のしわなんて、あなたにそっくり』
胸の内だけでつぶやいて、彼女は小さく笑った。なんだよ、といって、ほら、あなたはまた怪訝そうに眉をひそめる。好きなの。そういう子供っぽいところも、全部。
「それに、『阿吽の呼吸』ってこの人たちのことでしょう?」
「あ?」
「こっちの人が『阿』って言って、それでこっちの人が『吽』で締め括るの。二人で一つ。うん、ロマンだね」
「ロマンって……」
呆れたように肩を竦めて、彼は柵の上から上半身を後ろに戻した。一方彼女は、頭上に高くそびえ立つ仁王像により近づこうと、掴んだ木の柵にさらに体重をかけていく。あまりに前のめりになりすぎてよろめいた彼女の身体を、脇から伊丹が支えて起こした。
「ったくオマエ
気をつけろよ。金剛力士に惚れて柵の向こうに落ちたなんて笑えねえだろ」
「妬いてるんだ」
「オマエ……バカも休み休み言えよ、ほら」
ぶっきらぼうにそう言い、彼はさっさと手を離して歩き出した。頬を膨らませ、もう一度仁王像を見上げてから彼を追って走り出す。
追いつくよりも先に、彼女はぱっと脳裏に閃いたことを口にした。
「Haa... you do love me?」
「はあ?」
思い切り不機嫌そうな音をにじませて、足を止めた彼が振り返る。いいタイミングで飛びついた彼の唇にそっと口付けると、彼は面白いほど過剰に反応し、人目を気にして大慌てで周囲を見回した。
「ばっ、オマエ、こんなところで何ふざけて
」
「うーん、やっぱり『阿吽の呼吸』とはいかないか」
芝居がかった仕草で肩を竦め、彼女は未だにうろたえて真っ赤になっている伊丹を背に再び仁王像のもとに向かった。うーん、いい加減にキスくらい慣れてくれてもいいと思うんだけどな。でもやっぱり、あれか。彼はちょっと、古風というかなんというか。
仁王像を囲う柵にもたれかかって阿行像を見上げていると、戻ってきたらしい彼にいきなり肩を抱き寄せられて驚いた。触れ合った頬が熱く、反射的にそちらを向いて瞬く。額を寄せてきた伊丹は間近で伏せ目がちに彼女を見つめながら、先ほど彼女が不意打ちで仕掛けたものよりもずっと濃厚なキスをくれた。
唇を離した後、今にも火を噴き出しそうなほど赤くなって目を逸らす伊丹に、にやりと笑って片目を閉じる。
「見られちゃったね、金剛力士さんに」
ますます肌の色を赤らめた伊丹はこちらの肩に回した右手をすぐさま外し、背中を向けて吐き捨てた。
「
好きにしろ、俺は先に行くぞ」
「待ってよ、私も行くから!ね?」
彼女は追いついた伊丹の腕にしがみついて、込み上げてくる悦びを素直に口元に浮かべて笑った。
『阿吽の呼吸』とはいかなくても。
あなたのその気持ちさえあれば、離れてたってきっと。