「早くなったねー」
「何が」
「暗くなるの」
「そうだな」

まだ六時。だというのにいつの間にやら辺りは薄暗くなっていた。空気も背中を丸めたくなるくらい肌寒い。季節は秋。
突然、何の前触れもなく失笑した彼女を見て、伊丹はすぐさま顔を顰める。

「何笑ってんだよ」
「え?ちょっとね、思い出し笑い」
「思い出し笑いする奴はエロいんだってな」
「何よ。誰だってそれくらいするでしょ?」
「しねーなー。少なくとも俺はしねー」
「うそだー」
「嘘じゃねえよ」

細めた眼でしばし睨み合い、やがてほとんど同時に噴き出す。彼女はベンチの上に座りなおし、視線を上げて藍色の空を見た。

「暗くなる前に帰れーって、小さい頃はよく言われてたなーと思って」
「暗くなる前に帰らないような可愛げのない子供だったのか?」
「んー。どうだったかな。忘れた」
「思い出し笑いはするくせにな」
「なに、それ。関係ないでしょ?」

言葉とは裏腹に、彼女は楽しげに笑う。つられるようにして伊丹も破顔した。職場を離れた二人だけの空間だからこそ、何も考えずにこうして静かに笑える。

「伊丹は?」
「何が」
「暗くなる前に家に帰るいい子だった?」
「さあ、忘れたな」

なにそれー、と、彼女はまたおどけたように微笑む。そしてヒールを脱ぎ、ベンチの上で膝を抱えてみせた。

「……何見てるの?」
「何って、何を」
「ここ見てたでしょー?やだーやらしー」
「ばっ……ばーか!妄想!被害妄想!何で俺がそんな……」
「やだー冗談だよ。ジョーク。それとも何、ほんとに見てた?」
「ばっ……」

辺りはすっかり暗くなり、公園にいくつか設置された街灯だけが相手のシルエットを浮かび上がらせる。それでも彼の吐息が熱く戸惑った風に吐き出されるのが分かった。
彼女はまた、喉の奥で笑う。

「怒らないで、ね?ごめんなさい」
「べ、つに怒ってなんか……」
「ごめんってば」

つぶやいて、彼の肩に頭を凭れかける。薄ら寒い風の中でも、触れ合ったところから熱が広がっていく。
そっ、と腕が伸びてきて、彼女の肩を抱き寄せた。

あったかい。

瞼を閉じて、微笑みながら息を吐く。
すぐそばにあった街灯の明かりが、ちかちかと疎らな点滅を始めていた。
少しだけ首を伸ばし、彼の頬に唇を寄せる。


まだ六時。彼は口付けで応えてくれる。



にじり寄る長夜は、煙草の香りとともに始まる。







(06.10.16)