「おかえり」
 ひとりきり。と思っていた部屋に戻れば。
 笑いながら出迎えてくれたのは、……。
「……なんだ、きてたのか」
「うん、お風呂わいてるよ」
「さんきゅ」
「ごはんは?」
「食ってきた」
「そう。じゃあ、お風呂はいる?」
「そーだな」
 靴を脱いで、フローリングにあがる。そっと後ろに回ったあいつが、俺の脱いだスーツをさり気なく受け取る。
 時折ふらりとやって来て、彼女はそれを、いかにも自然にやってのけた。
 手首のボタンを外しながら、ダイニングに向かって右足を踏み出す。
     と。
 後ろから不意に抱きつかれて、瞬きながら慌てて振り返った。
「……どうした?」
 こちらの背に顔を押し付けた彼女の黒髪が、さらりと流れて肩口から落ちる。俯いたまま、あいつは涙混じりに言った。
「……おかえり」
「……ただいま」
 マラソンコースを走りまわって、引き攣った足首がほんの少しだけ痛む。
 震える彼女の細い肩を抱き寄せて、そっと、静かにさすった。
「心配させて、ごめんな」
 だが、何があっても死んではいけないと思えるのは。
(MIZUTAMA 08.05.03)