「……あ。なんか、無理っぽい」

ぴたり、と足を止めて。傍らの男を見上げながら、呟く。一呼吸ほど遅れて立ち止まった伊丹は怪訝そうに眉をひそめ、こちらを見た。
「……なんだ?」

何の脈絡もないことをぽつりと口にすると、彼はしばしば子供のように不機嫌になった。くすりと笑って、再び歩き出す。

「なんでもないよ」
「なんなんだよ。そーいうのが一番ムカつくんだよな」
「ムカつくって、きらい。きれいな言葉じゃないもん」
「言わせるお前が悪いんだろーが」

すぐ後ろをついてくる伊丹の声に苛立ちが募る。数歩大きく踊るように踏み出してから、彼女はまたくるりと身体ごと後ろを向いた。据わった目でこちらを睨み付けてくる伊丹と向かい合い、真っ直ぐに見上げて微笑む。

「難しそうだなーって思って」
「だから、なにが」

歯を剥いてそう繰り返す彼の高い肩に手を伸ばして、少しだけ踵を浮かせた。面食らった様子で目を丸くする伊丹が、可愛い。

「こうやって背伸びしても、こっちからキスするのは無理っぽいなーって」

伊丹は人より背が高くて、私は人より背が低い。私がどれだけ頑張ったって、不意打ちでキスなんてしてやれないな、って。
伊丹は耳まで真っ赤になって、石のように動かなくなった。おかしくて、    いとしくて、しかたない。

笑いながら手を離し、視線を落とすとちょうど伊丹のネクタイピンが見えた。銀色の、ごくごくシンプルなライン。彼女のプレゼントしたものだった。

踵を返して、再び歩き出そうと、すると。

    

不意に名前を呼ばれて、歩みを止める。振り向くよりも先に引き寄せられた身体は、きつく、伊丹の腕の中へと納まった。程なくして彼の熱い手のひらが頭の後ろに伸びてきて    目の前に、彼の澄んだ瞳が現れる。
ほとんど垂直に上を向かされた彼女は、同様にして前のめりに大きく屈んだ相手の唇に囚われた。熱く、熱く、身体の芯から湧き上がってくる熱はどちらの発するものだったか。

いつ何時誰に見られるかも分からない状況だというのに、止められなかった。不器用で、意地っ張りで照れ屋の彼が、まるで発作のように求めてくれたことが何よりも嬉しかった。

激しい口付けの間に、ようやく、隙を見て声をあげる。

「……そっちばっか、ズルイよ」
「……先輩たち、どうしましょう?」
「知らん。放っとけ」
警視庁。とある廊下の    一角での、こと。

(結局はバカップル)
(08.04.22)