「陣川さん?」





ふわり、と、花の香りがした。怪訝に思って重い瞼を薄っすらと開けると、二つの黒い大きな瞳がこちらを覗き込んでいる。どうしたんですか、屋上で昼寝なんて、いつもの陣川さんらしくないじゃないですか。その声からは一片の皮肉も嫌味も感じられず、ただ純粋に目の前の男を心配している、という感じだ。陣川と呼ばれた男は彼女のその言葉を受けて寝転がっていた体を渋々起こすと、うーんと一つ、伸びをした。スーツに付いた埃をパンパンと払い、どうぞ、と差し出されたコーヒーの缶を礼を言って受け取る。




「いつもは一円でも計算が合わなかったら昼休み返上して電卓叩いてる陣川さんがサボりなんて、珍しいですね」
「ん・・まあ、ちょっと、色々あってさ」
「?・・ああ、」




もしかして、また誤認逮捕しちゃったんですか?にずばり図星を突かれ、陣川はコーヒーを喉に痞えさせてゴホゴホと苦しそうに咳をした。はそんな上司の姿を肯定と受け取ったらしく、大丈夫ですか、と苦笑いで見つめると、彼の隣に座り込んではあ、と溜め息とも欠伸ともつかない吐息を漏らす。




「陣川さんも懲りないですねー。経理の仕事とは関係ないんだから、指名手配犯なんてほっとけばいいのに」
「ほっとけるわけないだろ?凶悪な殺人犯や強盗が目の前に居たら、お前はそのまま無視するのか?違うだろ、経理担当とはいえ俺たちも刑事の端くれだ、捕まえて事情聴取ってのが、俺たちのあるべき姿じゃないのか」
「でも結局はいつも人違いなんでしょ?」
「それは、あれだよ。なかなか難しいんだ、刑事の仕事っていうのは」
「そうですか。それはそれは、ご苦労さまです」




クスクスと笑って、は服が汚れるのも気にせずゴロンと地に寝転がって空を眺めた。彼女の黒髪が風に揺れて、靡く。彼女の横顔を見つめながら、陣川がぽつりと独り言のように呟いた。




「考えてみれば、だけだよな」
「え?何がですか?」
「俺が勝手に事件の捜査したり、挙句に犯人誤認逮捕したりしても、笑って流してくれる奴って、さ」
「はは、私はしがない巡査部長ですからねー。もし私が陣川さんの上司だったら、余計なことするなって怒鳴ってるかもしれませんよ」
「そうかもな」
「でも、陣川さんはそのままでいいんじゃないですか?変える必要なんか、ないです」
「えっ?」
「好きですよ、私。陣川さんのそういう馬鹿みたいに正義感が強いところ」
「馬鹿みたいって・・」
「好きです」
「・・・ありがとう」




照れたように笑い、陣川もまたの隣に寝転んで、雲一つない空を見上げた。夏よりも幾分か弱まった太陽の陽射しは、温かく優しい。まるで彼女のようだ、と、柄にもなく思った。




「そろそろ戻りましょう、警部たちに怒られちゃいます」




立ち上がろうとしたを阻むように、待って、と、近くに投げ出されていた彼女の手を握り締めた。もう少しだけ居てくれないか、とわざと甘えたような声を出すと、陣川さん・・、と彼女が呆れたような、困ったような声を漏らし微かに頬を赤らめる。あとちょっとだけだから。もう一度彼がそう言うと、ワンテンポ遅れて、も躊躇いながら彼の手をゆっくりと握り返す。あとちょっとだけですからね。私まだ、ノルマ終わってないんですから。彼女のその声がまるで子守唄のように、ひどく耳に心地よく感じた。ああ、できることなら、このまま時間が止まって欲しい。の手の温もりを感じながら、陣川はそっと目を閉じた。





もうすこしだけ、きみといっしょに。
















***

素敵すぎる企画発見!ということで参加させて頂きました、鳴海と申します。
陣川さんというややマイナーなお相手でしたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
ついでにお題とあんまり関係ない話でごめんなさい。
相棒夢の普及を願いつつ。鳴海でした。ありがとうございました!


20071030 鳴海晴